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27歳の二人。ハジメテ物語。
火村から待ち合わせの時間に間に合いそうにないという連絡があったのは30分程前。
食事をしようと言い出したのは火村のほうだったのだけれど、海外から来る教授の客を迎えに空港まで行ったところ霧が酷くて飛行機が着陸できず、そのまま待ちぼうけを食っているのだという。たいした遅刻ではないのならばそのまま待つところだけれど、どうやら何時になるかわからないと言われて、今日のところはキャンセルしようということになった。
「……別にええけどさ、いつものことやし」
此処のところ、火村との予定が潰れることが多い。理由は主に火村の都合。
アリスとて会社務めをしているわけだからそう暇なわけではないけれど、最近は仕事の要領も得てきてそう残業ばかりということもなくなった。土日は予定通りに休めることも多い。しかし反して火村は院を卒業してそのまま助手になり、いよいよ忙しくなってきたようだ。普段教授の手伝いをしている為に土日に自分の研究をしに大学に行っていることも少なくなく、アリスと会う時間も中々取れない状態だった。
そんな中で、久しぶりにゆっくり出来そうだ、と連絡があったので今日は楽しみにしていたのだけれど。
『すまん。ドクターを送ったらそのまま帰宅して良いって言われてたんだけど・・・これじゃ何時になるかわからない』
心底申し訳なさそうな火村の声に、アリスも気にしていない、としか答えようがなかった。
「……はあ」
片想いとは難しい。
恋人だったら多少の駄々もかわいらしいと受け取られるかもしれないけれど、同性の友人に駄々をこねられてもうっとおしい(酷い場合は気持ち悪い)と思われて終わりだ。
アリスは一人で食事を取る為に通りかかったイタリア料理店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた雰囲気の舗は6割くらいの席が埋まっている。平日でこれならばそれなりに繁盛しているのだろう。アリスは少し店内を見回してからカウンター席に着いた。
メニューを渡され、少し目を通してからパスタを頼む。どうせ一人きりの食事だし時間をかける気もない。
「あれ?もしかして、有栖川?」
声をかけられて顔を上げる。
「あ、やっぱりそうや。久しぶりやなぁ、覚えとるかな、ほら、俺や三谷や」
「あ……ああ!久しぶり。何年ぶりやろ~」
声をかけてきたのは高校時代の友人だった。随分と見た目が変わってしまっていて一瞬わからなかったけれど声と面影で旧友の顔を思い出す。
「高校卒業して以来か?」
「せやなぁ、東京の大学行ったって聞いとったけど、こっち戻ってきてるんか?」
「ああ……ちょっとな」
そう言って唇の端を僅かに上げた三谷を、アリスはまじまじと観察した。
高校時代の三谷は、何処となく野暮ったい雰囲気を持つ男だった。不精で伸びた長めの髪と黒縁の眼鏡。いつもきっちり詰襟を閉めている。勉強は出来たけれどクラスで目立つ方でもなく、かろうじてアリスの記憶に引っかかっているような、そんな男だったはずだけれど。
目の前にいる男は高級そうな生地のスタイリッシュなスーツに身を包み、髪を明るく染め、細い銀縁の眼鏡をかけていた。背は高く細身の身体に薄紫がかったスーツは良く似合っている。
「一人か?」
「あ、ああ……友人と約束しとったんやけど、あっちの仕事でキャンセルになってもうて」
「女か?」
「いや、男」
アリスは苦笑した。
「なあ、俺も一人なんや。こっちのテーブル来ぇへんか?」
断る理由もないので素直にアリスは三谷が座っていたテーブルに移動した。
「今何してるんや?」
「俺か?輸入家具の会社を経営しとる。本社は東京やねんけど、今度大阪にも支店を出そうと思ってな」
「お、凱旋帰郷やな。そうか、社長か……がんばっとるなァ」
道理で高そうなスーツを着ているわけだ。差し出された名刺を見てアリスは感心した。
「有栖川は?」
「俺は平凡なサラリーマンです。印刷会社の営業や」
アリスも一応名刺を返した。
運ばれてきた料理を食べながら、高校時代の話や、最近の話をする。
こんなに会話上手な男だったろうか、と思うほどに三谷は話し上手で聞き上手だった。火村との約束がキャンセルになったことで沈んでいた気持ちが三谷と会話しているうちに浮上してくる。いいタイミングで三谷と再会できたな、とアリスは思った。
時折三谷は髪を掻き上げ眼鏡を直す仕草をする。どうやら癖らしい。気障な仕草だな、と見ていると三谷が笑った。
「どうないしたんや、ぼうっとして」
「え?あ……いや、なんや三谷 、随分感じ変わったなあ」
「そうか?有栖川は変わらんなあ、相変わらずカワエエ顔して」
「なんやねん、それ」
27にもなる男を捕まえてかわいいもなにもあるか。そう笑うと、
「有栖川はカワエエよ。高校時代からそう思っててん」
そう微笑まれて、アリスは少し困惑した。
これは、ひょっとして口説かれているのだろうか?
「なあ、予定がキャンセルになったならこの後時間あるやろ?飲みにいかへん?」
テーブルに置いていたアリスの手の甲を、三谷の指先が掠めた。
「え……あ……えと……」
どうしよう。三谷の思惑がわからない。高校時代の三谷から考えると、彼がゲイだとは考え難い。ただの友人として誘われているのならば時間があるのがわかっているのに断るのは失礼だろう。
返答に困っているアリスに三谷は笑いかけた。
「有栖川って今印刷会社なんやろ?ほら、今度大阪に出す支店のパンフレットとか、良ければ頼めないかと思ってさ」
「あ……ああ……」
「じゃあ決まりや。出よか」
三谷は微笑んで立ち上がった。
再会してからまだ1時間程だけれど、三谷に対して好印象を抱いている。たとえ彼がゲイだったとしても、恋愛関係抜きであれば親しくしていきたいと思えるほどに。27歳で支店を持つほどの会社の社長だというのは、彼の経営の手腕ももちろんだけれど人をひきつける魅力、人柄のようなものが備わっているからなのかもしれない。
自分に彼が惹かれる要素が備わっているとは思わないけれど、それでももし誘いをかけられたりしたらそれとなく断ればいいのだ。
どうせ明日は休みで時間もあることだし、とアリスは一緒に行くことにした。
此処のところ立て続けにアリスとの約束をキャンセルしてしまっている。
教授の手伝いに加えて自分の研究や論文に追われているせいだ。アリスもそれを知っているから特に文句を言うこともなく、ただ「がんばれよ」と言ってくれている。今日も本当はアリスと食事に行く予定だったのに、海外からの来客のために結局ダメになった。
回線の切れた携帯をため息をつきながらジャケットにしまった。
毎日のように隣にいた学生時代が懐かしく感じられる。最後にアリスが火村の部屋に泊まったのはいつだろう。
霧のために遅れていた飛行機がやっと着陸したのは予定の時間よりも4時間も遅かった。火村は飛行機から降りてきた教授の客を急いでホテルに連れて行き、レンタカーを返して電車でアリスのアパートがある駅に向かった。
一緒に食事をしようという約束は守れなかったけれどアパートで酒でも飲もうと思ったのだ。
途中の酒屋でちょっと高めの酒を買って、アリスのアパートへと向かう。駅から10分くらいのところにある部屋へはもう何度も来たことがあるけれど、此処のところ足が遠のいていた。
「?」
アパートの下まで来て、アリスの部屋に灯りが点いていないことに気がついた。火村が時計に目をやると、もう10時を過ぎているが、宵っ張りのアリスが寝てしまうような時間でもない。
「帰ってないのか?」
一人で飲みに行くタイプではないのだけれど。
一応チャイムを鳴らしてみたけれど反応はない。携帯に連絡を入れても留守番センターの機械的な声が聞こえるだけだ。火村はせっかく来たのだから、とアリスの部屋のドアに寄りかかり少し待つことにした。
風はないけれど11月にもなればもうかなり寒い。火村はジャケットの前を掻き合せ、煙草に火をつけた。指先が冷たい。くわえ煙草のまま、ポケットに手を入れた。火村が助手になったときにアリスがくれた、シルバーの携帯灰皿。火村が持っているものの中の数少ない高価なものだ。
火村が5本目の煙草を吸い終えた頃、アパートの前にタクシーが止まった。何気なく顔を上げ、そちらに目を向けるとタクシーからアリスが降りてきた。少しよろけている、酔っているのだろうか。
タクシー?随分気前がいいな……
と、アリスに続いて背の高い男が下りてきた。一見してわかるほど高そうなスーツを身にまとっている男にアリスは支えられていた。
「アリス」
火村の声に振り返ったアリスは、火村の姿を見つけて驚いた。
「火村ぁっ!来てたんかぁ!」
やはり酔っているらしい。大声で火村の名前を呼んで手を振っている。火村がチラリと男に視線を向けると、男は小さく笑った。
「今日約束してた友達?」
「あ~、う~ん……」
「じゃ、俺は遠慮するよ。またな、有栖川」
「ん~、ゴメンな~三谷。連絡するわぁ。飯ご馳走さん。ありがとうな~」
アリスが頭を下げると男は芝居がかった仕草で気にしていないことをあらわし、片手を上げてタクシーに乗り込むと去っていった。
「いつから待ってたんや?もう~、連絡くれればよかったのに。寒かったやろぅ?」
少々ろれつが回っていないものの、意識はしっかりしているようだ。アリスはアパートの鍵を開けて火村を中に導くと、すぐにヒーターをつける。
「したよ、でも出なかった」
「え~?ほんま?」
慌ててアリスは携帯を確認する。
「あ、ほんまや……ゴメン、気付かへんかったわ……」
「いいさ」
申し訳なさがるアリスに火村は笑うと、買って来た酒を持ち上げた。
「約束をキャンセルしたお詫びなんだけど。お前酔ってるな?今日はもう飲まないか?」
「お、ええ酒や。奮発したなあ……。こんなええ酒飲まんでどないすんねん」
アリスは嬉しそうに笑うとグラスの用意をする。
「火村寒いやろ?風呂入ったら?」
確かに待っている間に身体が冷えてしまっていたので、火村は其の言葉に従うことにした。
風呂道楽というか、アリスがアパートを借りるときにこだわっていたのはちゃんとしたバスタブがある部屋、ということだった。湯船につかりながら火村はさっきアリスと一緒に居た男のことを考えた。
約束をキャンセルしたのは火村の方だから待たされたことやアリスが他の人間と一緒にいたことについてどうこう言える立場ではない。が、なんだか気に入らない。
「はぁぁ……ったく、しょうがねえな、俺も……」
高そうな服、気障な仕草、身なりに気を使っているのだろう所作は総じて「いい男」だった。
「とんびに油揚げさらわれんのか……?」
此処のところ約束を破りがちで、碌に一緒に過ごすことも出来ない自分に腹が立つ。大学時代から大事にしてきたというのに、想いを告げることもなく他のやつに持っていかれるのだろうか?
「っていうか、男だし」
馬鹿馬鹿しい。
男相手にヤキモチ妬いたところで仕方がない。アリスはゲイではない(はずだ)し、ヤキモチを焼くならば相手は女性だろうに。
苦笑して風呂から上がる。
アリスは火村が風呂から上がるまで飲まずに待ってくれていたようだ。おつまみのつもりだろう乾き物とチョコレートがテーブルに乗っている。ベッドによりかかかってうつらうつらしているアリスの頭をつつくと少し驚いた顔をしてから照れたように笑った。
「眠いか?」
「平気や。少し休憩もしたし、さあ、飲もう!」
2人とも明日は珍しく休みだというので、じっくりと腰をすえて飲むことにした。
「仕事、忙しいみたいやな」
「あ?……ああ、まあな。助手なんて雑用係に近いからなあ。自分の研究が進まなくて参るよ……」
少し疲れた火村の口調にアリスが眉を顰めた。
「疲れとるなら無理して大阪まで来んでも良かったのに」
「別に無理なんてしてない。……迷惑だったか?」
「迷惑?アホ言うな」
本当に呆れているといったアリスの顔に、火村は頭を掻いた。
「さっき一緒にいたやつが来る予定だったんだろう?」
「予定って……其の前に君と飯食う予定だったやないか。三谷は偶然会うただけやし。君との約束が没になったって話をしてて、それでちょっと飲みにいって」
「ふうん……」
「ちょっと飲み足りないからって俺の部屋に来るかって話になっただけ……って、なんで君にこんな言い訳してるんや?」
アリスがおかしそうに噴出した。今日のアリスは笑い上戸のようだ。
「まるで浮気の言い訳してるみたいやな」
ケタケタと笑うアリスを見て、火村も頬を緩めた。
「なるほど、じゃあ俺は浮気をされたダメ男ってわけだな」
「何でダメ男なん?」
「恋人との約束を破ってばっかりだから捨てられちまうんだ」
わざとらしく泣きまねをする火村の頭をアリスがくしゃくしゃと撫でる。
「ひゃひゃひゃ。君酔うてるな?よしよし、大丈夫やで、おっちゃんは君を捨てたりせえへんからな」
「本当かぁ?さっきのやつに誘われたんじゃねえのか?
「えええっ!?」
「え?」
あまりに大きなアリスのリアクションに火村も驚いて動きを止めた。
「お、オイオイ……マジかよ?」
「えっと、その、誘われたわけやなくて……」
しどろもどろなアリスを火村が睨みつける。
「そんなやつを部屋に入れようとしたのか?無用心なやつだな」
「いや、ええと……そんなんやないって、ほんまに。別になんか言われたとかそんなんとちゃうし、えと、ちょっとこう、時々変な雰囲気になるっていうか……」
顔を赤くしているのは酔っているからなのか、それとも照れているからなのか。
火村はムッとした顔を崩さずに酒を煽った。
「馬鹿じゃねえの?お前」
「だ、だからっ、そんなんとちゃうって言うてるやろ!はっきり誘われたわけでもないし、さ、触られたわけでもないし、時々おかしな雰囲気になるくらいでホモとか、そんなん失礼やないか!」
アリスはバンとテーブルを叩いていた。
「そ、それになっ、三谷は今東京で輸入家具の会社をやってるんや。社長やで?印刷会社の冴えない営業員なんかに手を出したりするもんか。たとえ三谷がホモだったとしてももっと綺麗な男の子が回りに仰山おるはずや」
「金持ちの考えることなんてわかるもんか!其の綺麗なお稚児さんだけじゃ物足りねえのかも知れないだろ。それともあれか、東京には東京の愛人がいてお前は大阪の愛人にするつもりだったのかもな。そんなやつの前で酔っ払うまで酒飲んで、バカかお前はっ!どういうつもりだよっ!」
「ど、どういうって……」
「ああ、じゃあ俺はもしかしてせっかくパトロンをつかめそうなところを邪魔しちまったってわけか?そりゃあすまなかったなぁ?金持ちの愛人の方がサラリーマンよりも小説家を目指すのにいろいろ便利そうだもんなぁ」
「・・・・・・」
「悪かったな、冴えない大学助手なんかよりも社長と飲んだ方が有意義だったろうに」
ガツッ!!
「……ってぇ……」
殴られた頬を押さえた火村をアリスは無言で睨みつけた。
「…………」
「…………」
「……悪い、失言だ」
「……お前……」
憤りのあまり言葉も出ない様子のアリスに、火村はもう一度謝った。
「悪かった……本当に、つい、カッとなった」
「…………」
アリスは無言で立ち上がると風呂場へと向かった。水音がしてすぐにまた出てくる。火村に水で濡らしたタオルを差し出す。
「ああ……有難う」
「俺の非力な拳でもきっと明日は跡が残る。思いっきり殴ったからな」
「アリス」
「……なんや」
「頼むから、あんまり無防備でいてくれるな」
「お前、まだそんなことっ……!」
「判ってる!それでも、頼むよ。……俺はもう学生の頃みたいに側にいることも出来ないんだ。頼むから」
うつむいてボソボソと火村は話す。そんな火村の姿は初めて見た。
本気でアリスを心配してくれているのだ。それが判ったからアリスはもう怒鳴ったりはしなかった。
「お前が見た目よりもしっかりしてるのは知ってるよ。他人に対して考えが甘いとも思っちゃいない」
「見た目よりってなあ……」
「だけど、お前は自分に好意を持ってくれているやつに対して、やたらとガードが甘くなってるって判ってるか?お前が自分の身を守れないようなやつだとは思わないけど、相手の好意に引きずられちまうんじゃないかって、俺は……」
火村は自分の思っていることをうまく説明できないようで、イラついたように長めの髪をかきむしった。
三谷が髪を掻き上げる気障な仕草とは違う、少し乱暴な其の仕草はアリスが好きな仕草だった。髪を切るのはめんどくさい、金がかかると火村はいつも髪をだらしなくなるギリギリまで伸ばしている。
「うん、気ぃつける。ホンマのこというと、ちょっと、三谷はその、そうなんかなって思うたんやけど、話してみてそんな無理矢理何かしてくるようなやつやないって思うたし、身元も判ってるし、立場もあるやつやから大丈夫やろて。でもやっぱり少し無防備やったかもしれん。心配させて、悪かった」
「……いや、さっきのは俺が悪かったから、殴られて当然だ」
火村の言葉にアリスは当たり前だ、と火村の額を小突いた。
「俺は殴ったことを謝ってるわけやない。心配させたことを謝ってるんや」
「あ、ああ……そうか、そうだよな」
うなだれたままの火村の頬に、アリスは手を伸ばした。
「まだ痛いか?氷持ってくる?」
「いや、もう大丈夫だ」
アリスが殴った場所はまだ少し赤いままだった。
食事をしようと言い出したのは火村のほうだったのだけれど、海外から来る教授の客を迎えに空港まで行ったところ霧が酷くて飛行機が着陸できず、そのまま待ちぼうけを食っているのだという。たいした遅刻ではないのならばそのまま待つところだけれど、どうやら何時になるかわからないと言われて、今日のところはキャンセルしようということになった。
「……別にええけどさ、いつものことやし」
此処のところ、火村との予定が潰れることが多い。理由は主に火村の都合。
アリスとて会社務めをしているわけだからそう暇なわけではないけれど、最近は仕事の要領も得てきてそう残業ばかりということもなくなった。土日は予定通りに休めることも多い。しかし反して火村は院を卒業してそのまま助手になり、いよいよ忙しくなってきたようだ。普段教授の手伝いをしている為に土日に自分の研究をしに大学に行っていることも少なくなく、アリスと会う時間も中々取れない状態だった。
そんな中で、久しぶりにゆっくり出来そうだ、と連絡があったので今日は楽しみにしていたのだけれど。
『すまん。ドクターを送ったらそのまま帰宅して良いって言われてたんだけど・・・これじゃ何時になるかわからない』
心底申し訳なさそうな火村の声に、アリスも気にしていない、としか答えようがなかった。
「……はあ」
片想いとは難しい。
恋人だったら多少の駄々もかわいらしいと受け取られるかもしれないけれど、同性の友人に駄々をこねられてもうっとおしい(酷い場合は気持ち悪い)と思われて終わりだ。
アリスは一人で食事を取る為に通りかかったイタリア料理店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた雰囲気の舗は6割くらいの席が埋まっている。平日でこれならばそれなりに繁盛しているのだろう。アリスは少し店内を見回してからカウンター席に着いた。
メニューを渡され、少し目を通してからパスタを頼む。どうせ一人きりの食事だし時間をかける気もない。
「あれ?もしかして、有栖川?」
声をかけられて顔を上げる。
「あ、やっぱりそうや。久しぶりやなぁ、覚えとるかな、ほら、俺や三谷や」
「あ……ああ!久しぶり。何年ぶりやろ~」
声をかけてきたのは高校時代の友人だった。随分と見た目が変わってしまっていて一瞬わからなかったけれど声と面影で旧友の顔を思い出す。
「高校卒業して以来か?」
「せやなぁ、東京の大学行ったって聞いとったけど、こっち戻ってきてるんか?」
「ああ……ちょっとな」
そう言って唇の端を僅かに上げた三谷を、アリスはまじまじと観察した。
高校時代の三谷は、何処となく野暮ったい雰囲気を持つ男だった。不精で伸びた長めの髪と黒縁の眼鏡。いつもきっちり詰襟を閉めている。勉強は出来たけれどクラスで目立つ方でもなく、かろうじてアリスの記憶に引っかかっているような、そんな男だったはずだけれど。
目の前にいる男は高級そうな生地のスタイリッシュなスーツに身を包み、髪を明るく染め、細い銀縁の眼鏡をかけていた。背は高く細身の身体に薄紫がかったスーツは良く似合っている。
「一人か?」
「あ、ああ……友人と約束しとったんやけど、あっちの仕事でキャンセルになってもうて」
「女か?」
「いや、男」
アリスは苦笑した。
「なあ、俺も一人なんや。こっちのテーブル来ぇへんか?」
断る理由もないので素直にアリスは三谷が座っていたテーブルに移動した。
「今何してるんや?」
「俺か?輸入家具の会社を経営しとる。本社は東京やねんけど、今度大阪にも支店を出そうと思ってな」
「お、凱旋帰郷やな。そうか、社長か……がんばっとるなァ」
道理で高そうなスーツを着ているわけだ。差し出された名刺を見てアリスは感心した。
「有栖川は?」
「俺は平凡なサラリーマンです。印刷会社の営業や」
アリスも一応名刺を返した。
運ばれてきた料理を食べながら、高校時代の話や、最近の話をする。
こんなに会話上手な男だったろうか、と思うほどに三谷は話し上手で聞き上手だった。火村との約束がキャンセルになったことで沈んでいた気持ちが三谷と会話しているうちに浮上してくる。いいタイミングで三谷と再会できたな、とアリスは思った。
時折三谷は髪を掻き上げ眼鏡を直す仕草をする。どうやら癖らしい。気障な仕草だな、と見ていると三谷が笑った。
「どうないしたんや、ぼうっとして」
「え?あ……いや、なんや三谷 、随分感じ変わったなあ」
「そうか?有栖川は変わらんなあ、相変わらずカワエエ顔して」
「なんやねん、それ」
27にもなる男を捕まえてかわいいもなにもあるか。そう笑うと、
「有栖川はカワエエよ。高校時代からそう思っててん」
そう微笑まれて、アリスは少し困惑した。
これは、ひょっとして口説かれているのだろうか?
「なあ、予定がキャンセルになったならこの後時間あるやろ?飲みにいかへん?」
テーブルに置いていたアリスの手の甲を、三谷の指先が掠めた。
「え……あ……えと……」
どうしよう。三谷の思惑がわからない。高校時代の三谷から考えると、彼がゲイだとは考え難い。ただの友人として誘われているのならば時間があるのがわかっているのに断るのは失礼だろう。
返答に困っているアリスに三谷は笑いかけた。
「有栖川って今印刷会社なんやろ?ほら、今度大阪に出す支店のパンフレットとか、良ければ頼めないかと思ってさ」
「あ……ああ……」
「じゃあ決まりや。出よか」
三谷は微笑んで立ち上がった。
再会してからまだ1時間程だけれど、三谷に対して好印象を抱いている。たとえ彼がゲイだったとしても、恋愛関係抜きであれば親しくしていきたいと思えるほどに。27歳で支店を持つほどの会社の社長だというのは、彼の経営の手腕ももちろんだけれど人をひきつける魅力、人柄のようなものが備わっているからなのかもしれない。
自分に彼が惹かれる要素が備わっているとは思わないけれど、それでももし誘いをかけられたりしたらそれとなく断ればいいのだ。
どうせ明日は休みで時間もあることだし、とアリスは一緒に行くことにした。
此処のところ立て続けにアリスとの約束をキャンセルしてしまっている。
教授の手伝いに加えて自分の研究や論文に追われているせいだ。アリスもそれを知っているから特に文句を言うこともなく、ただ「がんばれよ」と言ってくれている。今日も本当はアリスと食事に行く予定だったのに、海外からの来客のために結局ダメになった。
回線の切れた携帯をため息をつきながらジャケットにしまった。
毎日のように隣にいた学生時代が懐かしく感じられる。最後にアリスが火村の部屋に泊まったのはいつだろう。
霧のために遅れていた飛行機がやっと着陸したのは予定の時間よりも4時間も遅かった。火村は飛行機から降りてきた教授の客を急いでホテルに連れて行き、レンタカーを返して電車でアリスのアパートがある駅に向かった。
一緒に食事をしようという約束は守れなかったけれどアパートで酒でも飲もうと思ったのだ。
途中の酒屋でちょっと高めの酒を買って、アリスのアパートへと向かう。駅から10分くらいのところにある部屋へはもう何度も来たことがあるけれど、此処のところ足が遠のいていた。
「?」
アパートの下まで来て、アリスの部屋に灯りが点いていないことに気がついた。火村が時計に目をやると、もう10時を過ぎているが、宵っ張りのアリスが寝てしまうような時間でもない。
「帰ってないのか?」
一人で飲みに行くタイプではないのだけれど。
一応チャイムを鳴らしてみたけれど反応はない。携帯に連絡を入れても留守番センターの機械的な声が聞こえるだけだ。火村はせっかく来たのだから、とアリスの部屋のドアに寄りかかり少し待つことにした。
風はないけれど11月にもなればもうかなり寒い。火村はジャケットの前を掻き合せ、煙草に火をつけた。指先が冷たい。くわえ煙草のまま、ポケットに手を入れた。火村が助手になったときにアリスがくれた、シルバーの携帯灰皿。火村が持っているものの中の数少ない高価なものだ。
火村が5本目の煙草を吸い終えた頃、アパートの前にタクシーが止まった。何気なく顔を上げ、そちらに目を向けるとタクシーからアリスが降りてきた。少しよろけている、酔っているのだろうか。
タクシー?随分気前がいいな……
と、アリスに続いて背の高い男が下りてきた。一見してわかるほど高そうなスーツを身にまとっている男にアリスは支えられていた。
「アリス」
火村の声に振り返ったアリスは、火村の姿を見つけて驚いた。
「火村ぁっ!来てたんかぁ!」
やはり酔っているらしい。大声で火村の名前を呼んで手を振っている。火村がチラリと男に視線を向けると、男は小さく笑った。
「今日約束してた友達?」
「あ~、う~ん……」
「じゃ、俺は遠慮するよ。またな、有栖川」
「ん~、ゴメンな~三谷。連絡するわぁ。飯ご馳走さん。ありがとうな~」
アリスが頭を下げると男は芝居がかった仕草で気にしていないことをあらわし、片手を上げてタクシーに乗り込むと去っていった。
「いつから待ってたんや?もう~、連絡くれればよかったのに。寒かったやろぅ?」
少々ろれつが回っていないものの、意識はしっかりしているようだ。アリスはアパートの鍵を開けて火村を中に導くと、すぐにヒーターをつける。
「したよ、でも出なかった」
「え~?ほんま?」
慌ててアリスは携帯を確認する。
「あ、ほんまや……ゴメン、気付かへんかったわ……」
「いいさ」
申し訳なさがるアリスに火村は笑うと、買って来た酒を持ち上げた。
「約束をキャンセルしたお詫びなんだけど。お前酔ってるな?今日はもう飲まないか?」
「お、ええ酒や。奮発したなあ……。こんなええ酒飲まんでどないすんねん」
アリスは嬉しそうに笑うとグラスの用意をする。
「火村寒いやろ?風呂入ったら?」
確かに待っている間に身体が冷えてしまっていたので、火村は其の言葉に従うことにした。
風呂道楽というか、アリスがアパートを借りるときにこだわっていたのはちゃんとしたバスタブがある部屋、ということだった。湯船につかりながら火村はさっきアリスと一緒に居た男のことを考えた。
約束をキャンセルしたのは火村の方だから待たされたことやアリスが他の人間と一緒にいたことについてどうこう言える立場ではない。が、なんだか気に入らない。
「はぁぁ……ったく、しょうがねえな、俺も……」
高そうな服、気障な仕草、身なりに気を使っているのだろう所作は総じて「いい男」だった。
「とんびに油揚げさらわれんのか……?」
此処のところ約束を破りがちで、碌に一緒に過ごすことも出来ない自分に腹が立つ。大学時代から大事にしてきたというのに、想いを告げることもなく他のやつに持っていかれるのだろうか?
「っていうか、男だし」
馬鹿馬鹿しい。
男相手にヤキモチ妬いたところで仕方がない。アリスはゲイではない(はずだ)し、ヤキモチを焼くならば相手は女性だろうに。
苦笑して風呂から上がる。
アリスは火村が風呂から上がるまで飲まずに待ってくれていたようだ。おつまみのつもりだろう乾き物とチョコレートがテーブルに乗っている。ベッドによりかかかってうつらうつらしているアリスの頭をつつくと少し驚いた顔をしてから照れたように笑った。
「眠いか?」
「平気や。少し休憩もしたし、さあ、飲もう!」
2人とも明日は珍しく休みだというので、じっくりと腰をすえて飲むことにした。
「仕事、忙しいみたいやな」
「あ?……ああ、まあな。助手なんて雑用係に近いからなあ。自分の研究が進まなくて参るよ……」
少し疲れた火村の口調にアリスが眉を顰めた。
「疲れとるなら無理して大阪まで来んでも良かったのに」
「別に無理なんてしてない。……迷惑だったか?」
「迷惑?アホ言うな」
本当に呆れているといったアリスの顔に、火村は頭を掻いた。
「さっき一緒にいたやつが来る予定だったんだろう?」
「予定って……其の前に君と飯食う予定だったやないか。三谷は偶然会うただけやし。君との約束が没になったって話をしてて、それでちょっと飲みにいって」
「ふうん……」
「ちょっと飲み足りないからって俺の部屋に来るかって話になっただけ……って、なんで君にこんな言い訳してるんや?」
アリスがおかしそうに噴出した。今日のアリスは笑い上戸のようだ。
「まるで浮気の言い訳してるみたいやな」
ケタケタと笑うアリスを見て、火村も頬を緩めた。
「なるほど、じゃあ俺は浮気をされたダメ男ってわけだな」
「何でダメ男なん?」
「恋人との約束を破ってばっかりだから捨てられちまうんだ」
わざとらしく泣きまねをする火村の頭をアリスがくしゃくしゃと撫でる。
「ひゃひゃひゃ。君酔うてるな?よしよし、大丈夫やで、おっちゃんは君を捨てたりせえへんからな」
「本当かぁ?さっきのやつに誘われたんじゃねえのか?
「えええっ!?」
「え?」
あまりに大きなアリスのリアクションに火村も驚いて動きを止めた。
「お、オイオイ……マジかよ?」
「えっと、その、誘われたわけやなくて……」
しどろもどろなアリスを火村が睨みつける。
「そんなやつを部屋に入れようとしたのか?無用心なやつだな」
「いや、ええと……そんなんやないって、ほんまに。別になんか言われたとかそんなんとちゃうし、えと、ちょっとこう、時々変な雰囲気になるっていうか……」
顔を赤くしているのは酔っているからなのか、それとも照れているからなのか。
火村はムッとした顔を崩さずに酒を煽った。
「馬鹿じゃねえの?お前」
「だ、だからっ、そんなんとちゃうって言うてるやろ!はっきり誘われたわけでもないし、さ、触られたわけでもないし、時々おかしな雰囲気になるくらいでホモとか、そんなん失礼やないか!」
アリスはバンとテーブルを叩いていた。
「そ、それになっ、三谷は今東京で輸入家具の会社をやってるんや。社長やで?印刷会社の冴えない営業員なんかに手を出したりするもんか。たとえ三谷がホモだったとしてももっと綺麗な男の子が回りに仰山おるはずや」
「金持ちの考えることなんてわかるもんか!其の綺麗なお稚児さんだけじゃ物足りねえのかも知れないだろ。それともあれか、東京には東京の愛人がいてお前は大阪の愛人にするつもりだったのかもな。そんなやつの前で酔っ払うまで酒飲んで、バカかお前はっ!どういうつもりだよっ!」
「ど、どういうって……」
「ああ、じゃあ俺はもしかしてせっかくパトロンをつかめそうなところを邪魔しちまったってわけか?そりゃあすまなかったなぁ?金持ちの愛人の方がサラリーマンよりも小説家を目指すのにいろいろ便利そうだもんなぁ」
「・・・・・・」
「悪かったな、冴えない大学助手なんかよりも社長と飲んだ方が有意義だったろうに」
ガツッ!!
「……ってぇ……」
殴られた頬を押さえた火村をアリスは無言で睨みつけた。
「…………」
「…………」
「……悪い、失言だ」
「……お前……」
憤りのあまり言葉も出ない様子のアリスに、火村はもう一度謝った。
「悪かった……本当に、つい、カッとなった」
「…………」
アリスは無言で立ち上がると風呂場へと向かった。水音がしてすぐにまた出てくる。火村に水で濡らしたタオルを差し出す。
「ああ……有難う」
「俺の非力な拳でもきっと明日は跡が残る。思いっきり殴ったからな」
「アリス」
「……なんや」
「頼むから、あんまり無防備でいてくれるな」
「お前、まだそんなことっ……!」
「判ってる!それでも、頼むよ。……俺はもう学生の頃みたいに側にいることも出来ないんだ。頼むから」
うつむいてボソボソと火村は話す。そんな火村の姿は初めて見た。
本気でアリスを心配してくれているのだ。それが判ったからアリスはもう怒鳴ったりはしなかった。
「お前が見た目よりもしっかりしてるのは知ってるよ。他人に対して考えが甘いとも思っちゃいない」
「見た目よりってなあ……」
「だけど、お前は自分に好意を持ってくれているやつに対して、やたらとガードが甘くなってるって判ってるか?お前が自分の身を守れないようなやつだとは思わないけど、相手の好意に引きずられちまうんじゃないかって、俺は……」
火村は自分の思っていることをうまく説明できないようで、イラついたように長めの髪をかきむしった。
三谷が髪を掻き上げる気障な仕草とは違う、少し乱暴な其の仕草はアリスが好きな仕草だった。髪を切るのはめんどくさい、金がかかると火村はいつも髪をだらしなくなるギリギリまで伸ばしている。
「うん、気ぃつける。ホンマのこというと、ちょっと、三谷はその、そうなんかなって思うたんやけど、話してみてそんな無理矢理何かしてくるようなやつやないって思うたし、身元も判ってるし、立場もあるやつやから大丈夫やろて。でもやっぱり少し無防備やったかもしれん。心配させて、悪かった」
「……いや、さっきのは俺が悪かったから、殴られて当然だ」
火村の言葉にアリスは当たり前だ、と火村の額を小突いた。
「俺は殴ったことを謝ってるわけやない。心配させたことを謝ってるんや」
「あ、ああ……そうか、そうだよな」
うなだれたままの火村の頬に、アリスは手を伸ばした。
「まだ痛いか?氷持ってくる?」
「いや、もう大丈夫だ」
アリスが殴った場所はまだ少し赤いままだった。
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