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2004年発行の「Syill echo」から再録。おバカでラブラブ
最近、火村助教授の機嫌が悪い。
火村研の助手の神崎青年はここ一週間程悩んでいた。
彼の上司はもともと明るい性格というわけではないし、穏やか、とはとても言いがたいタイプの人ではある。愛想がないので初対面の人間にはとっつきづらいところはあるのだが、慣れてみると決して付き合いづらい人ではない。厳しいところは多々あるが、気さくで冗談も理解できるし、結構優しいところだってある。
研究者としても一流だ。研究の為に現場に赴く行動力もあり、象牙の塔に篭って威張るだけの研究者とは違う。神崎は研究者として本当に火村を尊敬している。
が・・・ここ数日の火村の機嫌の悪さはどうだ。
無表情な顔に寄せられた眉、明らかに不機嫌なオーラを出す火村に、質問に来た学生が怯えて神崎の所に助けを求めてくる。と、いっても神崎だって機嫌の悪い火村に話しかけるのはごめんだ。八つ当たりこそされていないが、時折聞こえる舌打ちやただでさえ多い喫煙量が更に増している様を見ると、とてもじゃないが『どうかしましたか?』などと聞く気にはなれない。
休講が多いことで事務室からの苦情の多いフィールドワークだが、こんな時はフィールドワークでもなんでもいいから外出してくれないか、と本気で思ってしまう。新入生が入ってくるこの時期、雑務に追われてどうしてもフィールドワークを断らざるを得ない。心底残念だ・・・
「神崎君」
「は、はいぃ?」
ため息をついているところにいきなり声をかけられて思わず声が上ずってしまう。どうやらガイダンスを終えて戻ってきたらしい。ああ、また苦行の時間が始まる・・・
「・・・なんて声出してんだ。俺がいない間に電話なかったか?」
「ええと、事務室から備品の買い替えのリストを早く出すようにっていうのがありましたけど」
「それだけか?」
「ええ、はい・・・・・・」
「わかった。ありがとう」
今日はこれで三度目だ。誰からの電話を待っているのだか、講義が終わる度に同じことを聞かれる。これは、やはり、あれか・・・恋人からの電話を待っている図、なのか?
火村は驚くほど男前にもかかわらず、周囲に女性の影が見えない。三十二歳の男盛り、顔良し頭良しで将来性も十分だ。教授陣からの見合いの話は後を絶たないのに、なぜだろう?
以前、男子学生しかいない時になにかの拍子でAV談義に花が咲いたのだが、その時誰かが先生のタイプって?と勇気ある質問を投げかけた。火村は『寝るだけなら細くて胸の大きい女がいい』と言っていた。なら、付き合うなら?と聞かれて、今度は『気の合うやつだな。ぼんやりしてるようでも自分の意思をはっきり持っているやつがいい。あとは、床上手か』そういってにやりと笑っていた。
火村先生が心待ちにしている電話の相手は果たして床上手なのか・・・
などと、下世話な想像をしていると、電話が鳴った。神崎が取ろうとする前にすばやく火村が受話器を取った。おお、早い。やはり女か・・・
しかしどうやら相手は待ち人ではなかったらしい。苦虫を噛み潰したような顔をして応対する姿をみて、神崎は更なる火村の機嫌の降下を考えて頭を抱えたくなった。
「は?・・・はあ・・・わ、わかりました。はい、すぐに。はい、失礼します。」
火村は受話器を叩きつけるようにして置くとジャケットを取ってドアへ向かった。
「K大の小谷教授が来てるらしい。あのホモジジイめ、なんだってこんなクソ忙しい時に来やがる」
小谷教授は火村をかなり気に入っているらしい。英都に来る度に呼び出されている。火村としても無視したいが、小谷教授のつてでK大の持ち出し禁止の資料を閲覧させてもらっているためそうも行かないらしい。噂ではそっちの趣味がある小谷教授は火村に手を出そうとしてるとかなんとか。ああ、お願いです。これ以上火村先生の機嫌を損ねないでください・・・
鼻息も荒く出て行く火村を見送りながら、神崎は小谷教授がいるであろう方向に向かって手を合わせた。
火村が出て行ってからすぐ、再び電話が鳴った。
神崎が出ると、聞こえてきたのはおっとりとした関西弁だ。
「こんにちは。有栖川ですけど。その声は神崎君?火村おる?」
「こんにちは。お久しぶりですね。ええと、先生はさっき出ちゃって。小谷教授って言ってはったから多分一時間は戻らないかとおもいますよ」
「そうなん?小谷教授ってK大の教授やろ?うわ~、火村も大変やなあ。セクハラされとるらしいで~」
そういう有栖川さんは少し嬉しそうだ。この二人の友情は少々ゆがんでいる気がする。なのに学生時代から十年以上友情が続いているとはよほど気が合うのか・・・
「今日って、火村帰り遅くなりそうかな?」
「う~ん・・・どうでしょう。特に急ぎの仕事はなかったと思いますよ。新学期の雑務ばかりですし、忙しい言えば忙しいですけど」
「そしたら悪いけど、七時ごろになったら火村を下宿に帰してもろてええ?」
「いいですけど・・・火村先生、このごろ機嫌悪いですから気をつけたほうがええですよ」
「あ、うん。それは平気。慣れとるし。原因も大体想像つくから。そいじゃ、頼んだで。
あ、俺から電話あったって言ったらあかんよ~」
「あ、はい。わかりました」
「そしたら、またな。お仕事がんばってや~」
そういえば、有栖川さんっておっとりしてるようだけど、脱サラして作家になったんだよな。そういうのってよっぽどの決意がないと無理だよなあ・・・と思ってふと気がついた。気が合って、意思が強い。それって、火村先生の好みのタイプなんじゃ・・・と気がついた。
ああ、そういえば・・・今日って十五日じゃなかったか?火村先生、誕生日だったよな?有栖川さん先生の誕生日のお祝いする気なのか?三十過ぎた男が?ふたりで?・・・うわあ・・・
もしかして、そういうことなのか?・・・床上手、なのかな・・・有栖川さんって・・・・・・
神崎は火村とは同い年とは思えない、色白で童顔の有栖の顔を思い浮かべて少し赤面した。
有栖から、連絡が来ない。
いつもならもうとっくに連絡があってもいい時期なのに、連絡が来ない。
火村は短くなった煙草を捨てようとした灰皿に手を伸ばして、そこが山盛りになっていることに気がついた。チッと舌打ちして吸殻を捨てに行く。自分でも、ここのところ吸い過ぎだっていう自覚がある。いくらなんでもこれでは身体に悪いだろう。
別に、一ヶ月やそこら連絡がない時だってあるけど。自分だって連絡しないことだってあるけど。でもやっぱり、自分の誕生日の時ぐらい、あっちから連絡してもらいたいじゃないか。
火村自身は誕生日とかクリスマスとかそういうイベントごとにあまり興味を示さないのだが、ここ十年ほど一緒にいるイベント好きの相方に付き合って誕生日のお祝いなるものをやってきた。
三十も過ぎてお誕生日もなにもあったもんじゃないが、それでもやっぱり、自分の恋人に無視されるのは気分が悪い。今までだって一緒に過ごせなかった時だってあったけど、連絡がなかったことなんて一度もない。こうなったら、意地でもこっちから連絡なんてしてやるもんか!有栖の誕生日だって無視してやる。チクショウ、無視だ、無視!
ふと顔を上げると、こちらの様子を伺っている神崎と目が合った。神崎は気まずげに視線を逸らす。火村の機嫌が悪いことで一番被害をこうむっているのは彼だろう。悪いな、慰謝料は有栖から取ってくれ。
火村がデスクにつくと、電話が鳴った。神崎が取るより先に電話をとる。しかし、相手は待ちに待った相手ではなく、できれば会いたくない相手だった。
『ああ、火村君かね?K大の小谷だけど。元気だったかい?』
「ああ、どうも、ご無沙汰しております」
火村は受話器を取ったことを後悔しながら一応の挨拶をする。できることならこのまま切ってしまいたい。
『ほんとだよ、僕がどれだけ君に会いたかったか分かるかい?あんまり会いたいものだから、僕ね、今英都大学に来てるんだ』
「は?」
『今ね、中庭の桜の下のベンチにいるんだよ。迎えに来てくれるね?』
(馬鹿か、コイツ。何だって迎えに行かなきゃなんねえんだ。自分で勝手に歩いて来い!)
「はあ・・・」
『桜の花びらがね、とても綺麗なんだよ。幻想的で、君の黒髪に落ちたらさぞかし映えるだろうね』
(・・・なんなんだよ・・・毎回毎回気味が悪い)
『ああ、美しい花と美しい君、僕の心は今にも叫びだしそうだよ!早く来てくれないと、本当に君の名を叫びだしてしまうかもしれない!!』
(冗談じゃねえ!!コイツなに考えてやがる!)
「わ、わかりました!はい、すぐに。失礼します」
火村は慌てて電話を切るとすぐに立ち上がった.
「ああ、火村君、待っていたよ。走ってきてくれたのかい?嬉しいよ、そんなに僕に会いたかった?」
(・・・いいや、ちっとも会いたくねえ。)
「それで、いったい今日はどうなさったんですか?」
引きつった笑みを浮かべながら、さっさと本題に入ろうとする火村をさらりと無視して小谷教授の一人芝居が続く。
「ああ、やっぱり、ホラね、君の黒髪には桜の花びらがなんて似合うんだろう」
そういって髪伸びてくる教授の手を火村はさりげなくよける。
「で、今日はどういった御用で?」
「ああ、せっかちさんだね。まあ君はまだ若いしね。はやる気持ちもわかるけど、もっとこのひと時を味わうべきだよ。いつもの僕らは日々の研究に追われて織姫と彦星のように離れ離れになっているんだ、この逢瀬を大切にしようじゃないか」
(俺の織姫はテメエじゃねえ。さっさと用件を言わねえか!)
「今日はね、僕の大切な織姫の誕生日だって聞いてね・・・」
(なんでそんなこと知ってんだ!つうか俺が織姫かよ!)
「君に、ぜひ、プレゼントをあげたくてね。いてもたってもいられなかった!」
そういって、小谷教授が差し出したのは手のひらに乗る小さなビロード張りの紺色の小箱。中に入っているものを容易に想像できる。
「・・・教授、お気持ちは有難いのですが、私ももう三十を超えておりますし、誕生日プレゼントなどをいただくような年でもありませんので・・・」
(冗談じゃねえ、なんだって、俺がこんなもんもらわなきゃなんねえ!)
「年齢なんて!そんなものは関係ないだろう!これは僕の君への想いの結晶!」
そういって教授は小箱を開けた。光り輝くプラチナのリング・・・火村は涙が出そうになる。
(勘弁してくれ、なんで俺がこんな思いをしなきゃなんねえんだ・・)
「教授、これは、その、私がいただくようなものではないと思われます。せっかくですが、もっとふさわしい方に・・・」
「ああ、なんて謙虚なんだ。そんな風に自分を卑下するものじゃない!君は本当に美しい!」
(誰なんだ!コイツを教授にしたやつは!!)
「と、とにかく、これはいただけません。他に御用がないようでしたら、失礼ですが私はこれで・・・少々用事が詰まっておりますので」
興奮した小谷教授に背を向けて、火村は早々に逃げ出した。
げんなりしながら研究室に戻って、神崎に電話がなかったか聞いてみる。
「いえ、どなたからもありませんでしたよ」
「・・・・・・そうか・・・・・・」
火村は泣きそうになりながらデスクで仕事を始めた。
(チクショウ!有栖め!覚えてろよっ)
四月の十五日の午後一時。
有栖はこっそりと火村の下宿に向かった。毎年、火村の誕生日はレストランで食事とかそんな感じで過ごしてるけど、たまには手料理でお祝いしてあげよう。
火村ほどではないけれど、有栖だって一人暮らしをしてかなりたつ。それなりに料理の腕だって上がったんだ。豪華なものは作れないけど、火村の好きなものばかりを作ってあげよう。ばあちゃんも、春らしく散らし寿司を作ってくれるって言ってるし。そんでもって、火村に内緒で飾り付けをして、サプライズ・パーティだ!!
このために、有栖はいつもなら早くに誕生日はあけて置くように連絡を取るのだが、今年はまったく連絡をしなかった。ばあちゃんに聞いて、とりあえず今日の火村が家に帰ってくることは確認した。不意のフィールドワークが入ったら困るけど、この時期の火村が忙しいことを警察の方でも知っているからあまりお誘いがないと去年に火村が言っていた。念のために研究室に電話して、助手の神崎君に火村をちゃんと下宿に帰らせるように頼んでおいた。
もう完璧だ。料理もだいぶできてきた。ホールケーキはさすがにばあちゃんと三人では食べきれないから、前に火村が美味いといっていた梅田のケーキ屋でわざわざナポレオンパイを買ってきた。一切れ千百円。こんなときでもなきゃ買わない高級品。ふふふふふ、火村め、俺の誕生日にはもっと高いケーキを買ってくるべし。
さっき電話したとき、神崎君が火村の機嫌が悪いと言っていた。間違いなく、自分からの連絡がないせいだと有栖は思っている。かわいいやつめ・・・これでやつが今日なんの予定も入れてないこと間違いなし!
有栖は取って置きの大吟醸を冷蔵庫で冷やしておく。ビールもええけど、本日のコンセプトは和食やからな、やっぱり日本酒やろ!ああ、俺ってなんてできた恋人やろう。せやから火村、浮気でもしてみ、ほんまにボッコボコにしたるで?
「有栖川さん、散らし寿司できましたよ」
ばあちゃんがパーティ会場の茶の間に綺麗に盛られた散らし寿司を持ってきてくれた。それを真ん中においてセッティングは完成。桃ちゃんは女の子らしく首輪の代わりにリボンをつけてもらっている。
時間はもうすぐ七時。火村がそろそろ帰ってくるはず。
車の音が聞こえた。有栖は慌てて玄関に行き、電気を消して下駄箱の陰に隠れる。
「ただいま帰りました」
どことなく疲れを滲ませながら、火村が入ってきたのを見計らって、電気をつけ、クラッカーをならした。
「おっ帰り~。火村」
「・・・・・・有栖・・・・・・」
クラッカーの音に驚いて姿を隠していた猫たちが、聞きなれた二人の声を聞きつけて恐る恐る玄関に出てきた。
「お、うりとこおも出てきたで。ごめんな~、驚かしてもうたな~。ももちゃ~ん、おいでや~」
有栖は火村のかばんを受け取りながら、まだ警戒して出てこない桃を呼ぶ。
「来てたのか」
「当然や、ほら、今日はこっちでご飯やで」
「・・・・・・連絡も寄こさなかったくせに」
「なんや、すねてんのか?ん~、かわええなあ、君は」
「・・・・・・」
有栖に連れられてばあちゃんの部屋へ入ると、桃を抱いたばちゃんが待っていた。テーブルの上に並べられた料理に目を見張る。
「お帰りなさい、火村さん」
「ただいま。すごいな、三十過ぎの男の誕生日とは思えない」
「すごいやろ~。ばあちゃんが散らし寿司作ってくれてん」
座って座って、と火村を席に着かせて有栖が嬉しそうに酒を注ぐ。
「ほな、三十二にもなって誕生日を祝ってくれる女の子のおらんかわいそうな友の為に、かんぱ~い!」
「「乾杯」」
散らし寿司を食べて、並べられた料理を食べる。ここぞとばかりにそろえられたのは自分の好物ばかりで、今更ながら照れてしまう。
「ん?これ、有栖が作ったのか」
「お、わかるか?」
「有栖川さんお昼から来てがんばって作りはったんですよ。ほんまお上手になられましたねえ」
「三十路を過ぎても飯を作ってくれる人もいねえからな」
「うるっさい、君に言われたないわっ」
少々ハイテンションなまま食事を終え、ケーキを食べ、奮発したらしい大吟醸でしたたかに酔って、有栖が皿を片付けようとして二枚割り、ばあちゃんに追い立てられるように部屋に帰った。
「くふふ、なあ、今日小谷教授が来てたやろ~」
「ああ?なんで知ってんだよ」
「えへへへへ。電話してん。神崎君な、君が機嫌悪いって困ってたで。あかんで、やつあたりは~」
朝、時間がなくてひきっぱなしにしてしまった布団にごろりと横になり、ニシャニシャと笑いながら有栖が言う。チクショウ、神崎のやつ黙ってやがったな。
「誰のせいだよ、このやろう」
うけけけけ、と変な笑い声を出す有栖に圧し掛かって、枕を押し付ける。
「や~め~ろ~や~。なあなあ、セクハラされたか、セクハラ」
有栖が火村のネクタイを解いて、シャツを脱がそうとする。
「あ?今お前にされてるよ」
酔いで美味くボタンがはずせないらしい有栖を手伝ってやりながら有栖のTシャツの下に手を入れる。
「そうやなくって~、小谷教授に~」
「うるせえな、あんなやつの名前聞きたかねえって」
もう黙れとばかりに唇を塞ぐと、火村の首に手を回してくる。
「ん~、なんや、怪しいな~。浮気したらしばくで」
「勘弁してくれよ、あいつとなんて冗談じゃねえ」
心底嫌そうにいう火村を見て、有栖は嬉しそうに笑うと今度は自分からキスを仕掛ける。
「火村」
「ん?」
「誕生日おめでとう。今年も一緒におってな」
有栖はこうやって、時々泣きたくなるようなタイミングで泣きたくなるようなことを言うのだ。本当に、どうしてコイツがいるのに浮気なんてするというんだ。
「・・・・・・ありがとう」
翌日は水曜日で授業もなく、休日を有栖と共に過ごして機嫌を回復させた火村を待っていたのは、火村助教授が年上の男に中庭でプロポーズされていたという、泣きたくなるような噂だった。
火村研の助手の神崎青年はここ一週間程悩んでいた。
彼の上司はもともと明るい性格というわけではないし、穏やか、とはとても言いがたいタイプの人ではある。愛想がないので初対面の人間にはとっつきづらいところはあるのだが、慣れてみると決して付き合いづらい人ではない。厳しいところは多々あるが、気さくで冗談も理解できるし、結構優しいところだってある。
研究者としても一流だ。研究の為に現場に赴く行動力もあり、象牙の塔に篭って威張るだけの研究者とは違う。神崎は研究者として本当に火村を尊敬している。
が・・・ここ数日の火村の機嫌の悪さはどうだ。
無表情な顔に寄せられた眉、明らかに不機嫌なオーラを出す火村に、質問に来た学生が怯えて神崎の所に助けを求めてくる。と、いっても神崎だって機嫌の悪い火村に話しかけるのはごめんだ。八つ当たりこそされていないが、時折聞こえる舌打ちやただでさえ多い喫煙量が更に増している様を見ると、とてもじゃないが『どうかしましたか?』などと聞く気にはなれない。
休講が多いことで事務室からの苦情の多いフィールドワークだが、こんな時はフィールドワークでもなんでもいいから外出してくれないか、と本気で思ってしまう。新入生が入ってくるこの時期、雑務に追われてどうしてもフィールドワークを断らざるを得ない。心底残念だ・・・
「神崎君」
「は、はいぃ?」
ため息をついているところにいきなり声をかけられて思わず声が上ずってしまう。どうやらガイダンスを終えて戻ってきたらしい。ああ、また苦行の時間が始まる・・・
「・・・なんて声出してんだ。俺がいない間に電話なかったか?」
「ええと、事務室から備品の買い替えのリストを早く出すようにっていうのがありましたけど」
「それだけか?」
「ええ、はい・・・・・・」
「わかった。ありがとう」
今日はこれで三度目だ。誰からの電話を待っているのだか、講義が終わる度に同じことを聞かれる。これは、やはり、あれか・・・恋人からの電話を待っている図、なのか?
火村は驚くほど男前にもかかわらず、周囲に女性の影が見えない。三十二歳の男盛り、顔良し頭良しで将来性も十分だ。教授陣からの見合いの話は後を絶たないのに、なぜだろう?
以前、男子学生しかいない時になにかの拍子でAV談義に花が咲いたのだが、その時誰かが先生のタイプって?と勇気ある質問を投げかけた。火村は『寝るだけなら細くて胸の大きい女がいい』と言っていた。なら、付き合うなら?と聞かれて、今度は『気の合うやつだな。ぼんやりしてるようでも自分の意思をはっきり持っているやつがいい。あとは、床上手か』そういってにやりと笑っていた。
火村先生が心待ちにしている電話の相手は果たして床上手なのか・・・
などと、下世話な想像をしていると、電話が鳴った。神崎が取ろうとする前にすばやく火村が受話器を取った。おお、早い。やはり女か・・・
しかしどうやら相手は待ち人ではなかったらしい。苦虫を噛み潰したような顔をして応対する姿をみて、神崎は更なる火村の機嫌の降下を考えて頭を抱えたくなった。
「は?・・・はあ・・・わ、わかりました。はい、すぐに。はい、失礼します。」
火村は受話器を叩きつけるようにして置くとジャケットを取ってドアへ向かった。
「K大の小谷教授が来てるらしい。あのホモジジイめ、なんだってこんなクソ忙しい時に来やがる」
小谷教授は火村をかなり気に入っているらしい。英都に来る度に呼び出されている。火村としても無視したいが、小谷教授のつてでK大の持ち出し禁止の資料を閲覧させてもらっているためそうも行かないらしい。噂ではそっちの趣味がある小谷教授は火村に手を出そうとしてるとかなんとか。ああ、お願いです。これ以上火村先生の機嫌を損ねないでください・・・
鼻息も荒く出て行く火村を見送りながら、神崎は小谷教授がいるであろう方向に向かって手を合わせた。
火村が出て行ってからすぐ、再び電話が鳴った。
神崎が出ると、聞こえてきたのはおっとりとした関西弁だ。
「こんにちは。有栖川ですけど。その声は神崎君?火村おる?」
「こんにちは。お久しぶりですね。ええと、先生はさっき出ちゃって。小谷教授って言ってはったから多分一時間は戻らないかとおもいますよ」
「そうなん?小谷教授ってK大の教授やろ?うわ~、火村も大変やなあ。セクハラされとるらしいで~」
そういう有栖川さんは少し嬉しそうだ。この二人の友情は少々ゆがんでいる気がする。なのに学生時代から十年以上友情が続いているとはよほど気が合うのか・・・
「今日って、火村帰り遅くなりそうかな?」
「う~ん・・・どうでしょう。特に急ぎの仕事はなかったと思いますよ。新学期の雑務ばかりですし、忙しい言えば忙しいですけど」
「そしたら悪いけど、七時ごろになったら火村を下宿に帰してもろてええ?」
「いいですけど・・・火村先生、このごろ機嫌悪いですから気をつけたほうがええですよ」
「あ、うん。それは平気。慣れとるし。原因も大体想像つくから。そいじゃ、頼んだで。
あ、俺から電話あったって言ったらあかんよ~」
「あ、はい。わかりました」
「そしたら、またな。お仕事がんばってや~」
そういえば、有栖川さんっておっとりしてるようだけど、脱サラして作家になったんだよな。そういうのってよっぽどの決意がないと無理だよなあ・・・と思ってふと気がついた。気が合って、意思が強い。それって、火村先生の好みのタイプなんじゃ・・・と気がついた。
ああ、そういえば・・・今日って十五日じゃなかったか?火村先生、誕生日だったよな?有栖川さん先生の誕生日のお祝いする気なのか?三十過ぎた男が?ふたりで?・・・うわあ・・・
もしかして、そういうことなのか?・・・床上手、なのかな・・・有栖川さんって・・・・・・
神崎は火村とは同い年とは思えない、色白で童顔の有栖の顔を思い浮かべて少し赤面した。
有栖から、連絡が来ない。
いつもならもうとっくに連絡があってもいい時期なのに、連絡が来ない。
火村は短くなった煙草を捨てようとした灰皿に手を伸ばして、そこが山盛りになっていることに気がついた。チッと舌打ちして吸殻を捨てに行く。自分でも、ここのところ吸い過ぎだっていう自覚がある。いくらなんでもこれでは身体に悪いだろう。
別に、一ヶ月やそこら連絡がない時だってあるけど。自分だって連絡しないことだってあるけど。でもやっぱり、自分の誕生日の時ぐらい、あっちから連絡してもらいたいじゃないか。
火村自身は誕生日とかクリスマスとかそういうイベントごとにあまり興味を示さないのだが、ここ十年ほど一緒にいるイベント好きの相方に付き合って誕生日のお祝いなるものをやってきた。
三十も過ぎてお誕生日もなにもあったもんじゃないが、それでもやっぱり、自分の恋人に無視されるのは気分が悪い。今までだって一緒に過ごせなかった時だってあったけど、連絡がなかったことなんて一度もない。こうなったら、意地でもこっちから連絡なんてしてやるもんか!有栖の誕生日だって無視してやる。チクショウ、無視だ、無視!
ふと顔を上げると、こちらの様子を伺っている神崎と目が合った。神崎は気まずげに視線を逸らす。火村の機嫌が悪いことで一番被害をこうむっているのは彼だろう。悪いな、慰謝料は有栖から取ってくれ。
火村がデスクにつくと、電話が鳴った。神崎が取るより先に電話をとる。しかし、相手は待ちに待った相手ではなく、できれば会いたくない相手だった。
『ああ、火村君かね?K大の小谷だけど。元気だったかい?』
「ああ、どうも、ご無沙汰しております」
火村は受話器を取ったことを後悔しながら一応の挨拶をする。できることならこのまま切ってしまいたい。
『ほんとだよ、僕がどれだけ君に会いたかったか分かるかい?あんまり会いたいものだから、僕ね、今英都大学に来てるんだ』
「は?」
『今ね、中庭の桜の下のベンチにいるんだよ。迎えに来てくれるね?』
(馬鹿か、コイツ。何だって迎えに行かなきゃなんねえんだ。自分で勝手に歩いて来い!)
「はあ・・・」
『桜の花びらがね、とても綺麗なんだよ。幻想的で、君の黒髪に落ちたらさぞかし映えるだろうね』
(・・・なんなんだよ・・・毎回毎回気味が悪い)
『ああ、美しい花と美しい君、僕の心は今にも叫びだしそうだよ!早く来てくれないと、本当に君の名を叫びだしてしまうかもしれない!!』
(冗談じゃねえ!!コイツなに考えてやがる!)
「わ、わかりました!はい、すぐに。失礼します」
火村は慌てて電話を切るとすぐに立ち上がった.
「ああ、火村君、待っていたよ。走ってきてくれたのかい?嬉しいよ、そんなに僕に会いたかった?」
(・・・いいや、ちっとも会いたくねえ。)
「それで、いったい今日はどうなさったんですか?」
引きつった笑みを浮かべながら、さっさと本題に入ろうとする火村をさらりと無視して小谷教授の一人芝居が続く。
「ああ、やっぱり、ホラね、君の黒髪には桜の花びらがなんて似合うんだろう」
そういって髪伸びてくる教授の手を火村はさりげなくよける。
「で、今日はどういった御用で?」
「ああ、せっかちさんだね。まあ君はまだ若いしね。はやる気持ちもわかるけど、もっとこのひと時を味わうべきだよ。いつもの僕らは日々の研究に追われて織姫と彦星のように離れ離れになっているんだ、この逢瀬を大切にしようじゃないか」
(俺の織姫はテメエじゃねえ。さっさと用件を言わねえか!)
「今日はね、僕の大切な織姫の誕生日だって聞いてね・・・」
(なんでそんなこと知ってんだ!つうか俺が織姫かよ!)
「君に、ぜひ、プレゼントをあげたくてね。いてもたってもいられなかった!」
そういって、小谷教授が差し出したのは手のひらに乗る小さなビロード張りの紺色の小箱。中に入っているものを容易に想像できる。
「・・・教授、お気持ちは有難いのですが、私ももう三十を超えておりますし、誕生日プレゼントなどをいただくような年でもありませんので・・・」
(冗談じゃねえ、なんだって、俺がこんなもんもらわなきゃなんねえ!)
「年齢なんて!そんなものは関係ないだろう!これは僕の君への想いの結晶!」
そういって教授は小箱を開けた。光り輝くプラチナのリング・・・火村は涙が出そうになる。
(勘弁してくれ、なんで俺がこんな思いをしなきゃなんねえんだ・・)
「教授、これは、その、私がいただくようなものではないと思われます。せっかくですが、もっとふさわしい方に・・・」
「ああ、なんて謙虚なんだ。そんな風に自分を卑下するものじゃない!君は本当に美しい!」
(誰なんだ!コイツを教授にしたやつは!!)
「と、とにかく、これはいただけません。他に御用がないようでしたら、失礼ですが私はこれで・・・少々用事が詰まっておりますので」
興奮した小谷教授に背を向けて、火村は早々に逃げ出した。
げんなりしながら研究室に戻って、神崎に電話がなかったか聞いてみる。
「いえ、どなたからもありませんでしたよ」
「・・・・・・そうか・・・・・・」
火村は泣きそうになりながらデスクで仕事を始めた。
(チクショウ!有栖め!覚えてろよっ)
四月の十五日の午後一時。
有栖はこっそりと火村の下宿に向かった。毎年、火村の誕生日はレストランで食事とかそんな感じで過ごしてるけど、たまには手料理でお祝いしてあげよう。
火村ほどではないけれど、有栖だって一人暮らしをしてかなりたつ。それなりに料理の腕だって上がったんだ。豪華なものは作れないけど、火村の好きなものばかりを作ってあげよう。ばあちゃんも、春らしく散らし寿司を作ってくれるって言ってるし。そんでもって、火村に内緒で飾り付けをして、サプライズ・パーティだ!!
このために、有栖はいつもなら早くに誕生日はあけて置くように連絡を取るのだが、今年はまったく連絡をしなかった。ばあちゃんに聞いて、とりあえず今日の火村が家に帰ってくることは確認した。不意のフィールドワークが入ったら困るけど、この時期の火村が忙しいことを警察の方でも知っているからあまりお誘いがないと去年に火村が言っていた。念のために研究室に電話して、助手の神崎君に火村をちゃんと下宿に帰らせるように頼んでおいた。
もう完璧だ。料理もだいぶできてきた。ホールケーキはさすがにばあちゃんと三人では食べきれないから、前に火村が美味いといっていた梅田のケーキ屋でわざわざナポレオンパイを買ってきた。一切れ千百円。こんなときでもなきゃ買わない高級品。ふふふふふ、火村め、俺の誕生日にはもっと高いケーキを買ってくるべし。
さっき電話したとき、神崎君が火村の機嫌が悪いと言っていた。間違いなく、自分からの連絡がないせいだと有栖は思っている。かわいいやつめ・・・これでやつが今日なんの予定も入れてないこと間違いなし!
有栖は取って置きの大吟醸を冷蔵庫で冷やしておく。ビールもええけど、本日のコンセプトは和食やからな、やっぱり日本酒やろ!ああ、俺ってなんてできた恋人やろう。せやから火村、浮気でもしてみ、ほんまにボッコボコにしたるで?
「有栖川さん、散らし寿司できましたよ」
ばあちゃんがパーティ会場の茶の間に綺麗に盛られた散らし寿司を持ってきてくれた。それを真ん中においてセッティングは完成。桃ちゃんは女の子らしく首輪の代わりにリボンをつけてもらっている。
時間はもうすぐ七時。火村がそろそろ帰ってくるはず。
車の音が聞こえた。有栖は慌てて玄関に行き、電気を消して下駄箱の陰に隠れる。
「ただいま帰りました」
どことなく疲れを滲ませながら、火村が入ってきたのを見計らって、電気をつけ、クラッカーをならした。
「おっ帰り~。火村」
「・・・・・・有栖・・・・・・」
クラッカーの音に驚いて姿を隠していた猫たちが、聞きなれた二人の声を聞きつけて恐る恐る玄関に出てきた。
「お、うりとこおも出てきたで。ごめんな~、驚かしてもうたな~。ももちゃ~ん、おいでや~」
有栖は火村のかばんを受け取りながら、まだ警戒して出てこない桃を呼ぶ。
「来てたのか」
「当然や、ほら、今日はこっちでご飯やで」
「・・・・・・連絡も寄こさなかったくせに」
「なんや、すねてんのか?ん~、かわええなあ、君は」
「・・・・・・」
有栖に連れられてばあちゃんの部屋へ入ると、桃を抱いたばちゃんが待っていた。テーブルの上に並べられた料理に目を見張る。
「お帰りなさい、火村さん」
「ただいま。すごいな、三十過ぎの男の誕生日とは思えない」
「すごいやろ~。ばあちゃんが散らし寿司作ってくれてん」
座って座って、と火村を席に着かせて有栖が嬉しそうに酒を注ぐ。
「ほな、三十二にもなって誕生日を祝ってくれる女の子のおらんかわいそうな友の為に、かんぱ~い!」
「「乾杯」」
散らし寿司を食べて、並べられた料理を食べる。ここぞとばかりにそろえられたのは自分の好物ばかりで、今更ながら照れてしまう。
「ん?これ、有栖が作ったのか」
「お、わかるか?」
「有栖川さんお昼から来てがんばって作りはったんですよ。ほんまお上手になられましたねえ」
「三十路を過ぎても飯を作ってくれる人もいねえからな」
「うるっさい、君に言われたないわっ」
少々ハイテンションなまま食事を終え、ケーキを食べ、奮発したらしい大吟醸でしたたかに酔って、有栖が皿を片付けようとして二枚割り、ばあちゃんに追い立てられるように部屋に帰った。
「くふふ、なあ、今日小谷教授が来てたやろ~」
「ああ?なんで知ってんだよ」
「えへへへへ。電話してん。神崎君な、君が機嫌悪いって困ってたで。あかんで、やつあたりは~」
朝、時間がなくてひきっぱなしにしてしまった布団にごろりと横になり、ニシャニシャと笑いながら有栖が言う。チクショウ、神崎のやつ黙ってやがったな。
「誰のせいだよ、このやろう」
うけけけけ、と変な笑い声を出す有栖に圧し掛かって、枕を押し付ける。
「や~め~ろ~や~。なあなあ、セクハラされたか、セクハラ」
有栖が火村のネクタイを解いて、シャツを脱がそうとする。
「あ?今お前にされてるよ」
酔いで美味くボタンがはずせないらしい有栖を手伝ってやりながら有栖のTシャツの下に手を入れる。
「そうやなくって~、小谷教授に~」
「うるせえな、あんなやつの名前聞きたかねえって」
もう黙れとばかりに唇を塞ぐと、火村の首に手を回してくる。
「ん~、なんや、怪しいな~。浮気したらしばくで」
「勘弁してくれよ、あいつとなんて冗談じゃねえ」
心底嫌そうにいう火村を見て、有栖は嬉しそうに笑うと今度は自分からキスを仕掛ける。
「火村」
「ん?」
「誕生日おめでとう。今年も一緒におってな」
有栖はこうやって、時々泣きたくなるようなタイミングで泣きたくなるようなことを言うのだ。本当に、どうしてコイツがいるのに浮気なんてするというんだ。
「・・・・・・ありがとう」
翌日は水曜日で授業もなく、休日を有栖と共に過ごして機嫌を回復させた火村を待っていたのは、火村助教授が年上の男に中庭でプロポーズされていたという、泣きたくなるような噂だった。
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